Columns|コラム【論語と私】全11回

第4回 徳不孤 必有鄰

子曰徳不孤 必有鄰

徳は孤(こ)ならず 必ず隣(となり)あり


徳がある人は決して孤立したりしないもので、

必ず理解者がいるものだ

という意味らしいです。


私は決して自分に徳があるとはおもっておりませんが、

思い起こせば半世紀生きながらえて、

物心ついてからこのかた、必ず理解者がいてくれました。

両親です。


物理的に距離が離れたことは何度もありましたし、

音信が途絶えることもしばしばありました。

高校生のときの反抗期のときはいろいろと親とぶつかることもありました。

大学生のときは家に帰らないことはしょっちゅう。

就職するタイミングで父が北海道に転勤になり、

それこそ顔をあわせるのは父が時々上京してくるのを含めても年に数回。

結婚して自分の家庭を持ち、妻と両親との微妙な距離感のバランスをとっていましたが、

結局は自分が別居。

そのときは退職して関東に戻ってきた両親の家に世話になりました。

会社まで2時間半の通勤時間。

当時忙しかったこともあり終電に乗れず、

ずっと手前の駅までしか到達できないことが毎日続き、

真夜中父は駅まで車で迎えにきてくれていました。


さすがにこれは長く続かないと思って

都内のアパートに引っ越ししたのですが、

偶然近くの中古マンションに両親が引っ越してきました。

アパート暮らしも負担になるだろうということで、

再び両親と同居(^ ^)

しかしそれもつかの間数ヶ月後に私は神奈川へ転勤、

1年後に仙台へ転勤、そしてその3年後にはアメリカへ赴任。

アメリカに赴任したとき、母といつでも連絡がとれるように、

と当時のガラケーを日本から持ち込んでいました。

携帯メールでやり取りをしていたんです(^ ^)

細〜く繋がっていました。

そして帰任し、東日本大震災があり、退職し、離婚が成立し、

といろいろなことがその後も続きました。


両親はいつも側にいてくれたんだな、と改めて思いました。

何を要求するわけでもなく、ただ寄り添ってくれていた、

そんな印象です。

今から思うと一番の理解者だったんですね。


本来の意味合いとは異なりますが、

家族がいればきっとその人たちは一番の理解者になってくれるのでは、

そんな気持ちになりました。



出展:イースト・プレス まんがで読破「論語」



「第3回 學而時習之不亦説乎・・・」

「第5回 不忮 不求 何用不臧・・・」

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